2012/02/02
■現場

スタッフやキャストにとっては映画撮影現場は緊張の連続で、真剣勝負の場だ。楽しい事は少ないが、笑顔が出る瞬間もある。良いものだ。

 

2012/02/01
■生きてるものはいないのかweb予約

「 生きてるものはいないのか」web予約で前売り券をゲットするのがお得です。

是非観たいと思っていても、忙しさの中でつい見逃してしまうのが映画の封切り!
そんなあなた、やはり前売り件をゲットしておく事が、映画館に行く事を忘れない為には重要だと思われます。
(アッシはそうしてます)

映画館の大スクリーンと、5.1 CH立体音響(映画館設備によります)、吉祥寺バウスシアターの特別爆音上映(期日限定)等で、アッシの久々の長編劇映画をご体験、ご堪能下さい。

チケットぴあ (WEB予約 店頭引き換え)
http://ticket-search.pia.jp/pia/search_all.do?kw=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%A6%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8B

ローソンチケット(WEB予約 店頭引き換え)
http://l-tike.com/pc/d1/AA01G04F1.do?txtEvtCd=38564&txtPerfDay=99999999&txtPerfSeq=9&venueCd=38347&srcID=AA02G08

セブンイレブン(マルチコピー機)
http://www.sej.co.jp/sej/html/products/tickets/cinema/

ファミリーマート(イープラス店頭)
http://www.family.co.jp/famiport/ticket/movie/hc0g7400000gfadd.html

 

2012/01/17
■びんぼう君?

2月25日(火)前田司郎くん率いる五反田団の新作公演「びんぼう君」のアフタートークに参戦致します。
ヨロシクお願いします! 

 石井岳龍監督アフタートークゲスト参加決定! http://gotanndadan.jugem.jp/?eid=145

 

2012/01/13
■1月15日(日)緊急告知

神戸トークショーご案内

私の新作映画『生きてるものはいないのか』公開を記念して、1月15日(日)、神戸・元町にてトーク・ライブを行いますので、ご案内差し上げます。

石井岳龍トーク・ライブ・ツアー『石井岳龍は、路上にいる。』
●神戸 2012年1月15日(日)18:00〜(開場は30分前)
神戸元町高架下商店街アート・カフェ『プラネット・アース』
★テーマ『映画を目指す若い衆へ。生きてるものはいないのか?』
神戸芸術工科大学で教鞭を取る石井監督から、次代を担う若者へメッセージ。
●会費
一般・学生=2.000円(『生きてるものはいないのか』特別鑑賞券付)
『生きてるものはいないのか』前売券をすでにお持ちの方はご提示により、1.000円にてご入場いただけます。
※席の余裕はありますが、ご予約されると確実です。
quickone@sky.bbexcite.jp(主催:渡辺)

映画ともども、どうぞ宜しくお願い致します。

石井岳龍

 

2012/01/05
■MOVIE LOVERS

「MOVIE LOVERS」という大阪の映画上映イベントに、
神戸芸術工科大学/映画専攻関係の4作品が選出されて上映されます。向田、渡辺(まんが専攻)、チョナヨン、西野監督のそれぞれの卒業制作です。

とても貴重な機会なのでお見逃しなく!

【以下、イベント詳細】

自主映画に発表の場を創出し、
観客と製作者の垣根を越えた交流の場(サロン)を提供します。
また、メジャー・インディーズにとらわれず、
観客に支持されアンコール上映の要望が高い作品も取り上げていき、
関係者を招いての座談会・交流会も企画しています。

http://www.artcomplex.net/ml/

 

2012/01/02
■dragon's child

『みなさまのご多幸を祈ってます』

 

2012/01/01
■映画を生きる

大蛇は突然すぐそばの地面の中から現れた。
とんでもない大きさで、飲み込まれたらひとたまりもないという恐怖に襲われ、焦る。
しかし、こちらの心配など全く関係無しに、大蛇はなだらかにうねり、地表に姿を見せたり地面に潜ったりしながら悠然とどこかに進んでゆく。

いつしか恐怖は消え、ただその姿の美しさと雄大さに見とれ、皆にも見て欲しいと願う。

大蛇は宇宙から見たような地球色(やや黄緑系)に発光していた。

関係者の皆様、若衆たち、大変お世話になっております。

おかげ様でアッシの中で、
「映画を創る×映画を学ぶ=映画を生きる」
という方程式がくっきりと見えて来ました。
この三位一体の状態を今後もじっくり進化させます。
目の前の事をコツコツと積み重ねるだけですが、塵も積もれば山となる=本当です。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

岳龍

 

2011/12/23
■石井岳龍はどこにいる?

年の瀬ながら、関係者の皆様お疲れ様です。

何を話してるのか自分でもよくわからないアッシですが、
このイベントではなんとか理解してもらえるようにトークできるように努めます。

どうぞ宜しくお願いします。

 

2011/12/01
■小津安二郎監督の夢

小津安二郎監督の夢をみた。それだけでもありがたいのに、なんと小津安二郎監督の娘さんの嫁婿になっているという夢だ。

ありがたすぎるが、不埒すぎる。

でも、夢は全くの無罪だから、忘れないうちにこうして書き綴るのをどうかお許しあれ。

季節は盛夏。何故か私の義父である小津安二郎監督は、自室であおむけに寝そべってくつろいで居る。私はお土産に今風の半袖シャツを2枚持参したが、小津義父は気に入らないのか、ランニングシャツのままで黙って微笑み、それを着ようとはしない。気がつくと、おそらく義母が買ったものだろうが、似たような今風の白い半袖シャツが2枚、ハンガーに掛かって鴨居からぶらさがっている。私のお土産より少し柄もセンスよく落ち着いていて小津義父に似合いそうだ。
『…そうか、こちらを着たいのだな…』と私は納得する。

撮影現場。
小津監督が私の知らない映画を撮っている。最後の作品だという事がわかる。遺作は実は「秋刀魚の味」ではなかったのだ。
これは誰もが知らなかった大変な知られざる事実、その現場に、今、立ち会っているのだという緊張した意識に包まれる。

ここで少し客観的になる。(夢と現実の中間地帯、或いは夢の別次元に入ったのか?)。
私は実際は2011年の現実に生きている。小津監督は50年くらい前に亡くなったはずだ。これはタイムマシーンのようなもので私がその時代に来ているという事ではないか。とんでもなく映画史的にも貴重な体験を今しているのだ。歴史に残されていない小津監督の幻の最後の映画現場に居るのだ。この現場や、それに関わる小津監督の、目の前のこのリアルな生の姿を記録に残さなければ誰にもこの事が伝わらないではないか。私は何をぼやっと過ごしているのだ。写真の一枚も撮ったのか?記録ムービーは回していないのか。
私は焦る。『…確か、はっきりとした姿はまだ撮っていないが、シルエットとか、采配する手とか、断片的にならプライベートで撮ったはずだ…でもそれではいけない。しっかりと記録して、これを現代に持ち帰って、関係者に生々しいこの隠された真実の記録を見せなければならない…』

小津監督の隠された本当の遺作のラストシーンの撮影が始まる。
その撮影は、今までに私が知っている小津監督の演出、小津スタイルを逸脱した、とんでもなく画期的、斬新なものだった。ラストシーンで、その小じゃれた宴会場(もちろんセット)に全員集合した登場人物たちは、演技を続けたまま、ゆっくりとセットから出て行き始めた。それを写していたカメラは、長回し撮影のまま、その人物たちの演技を追ってゆく。長回しは続いていて決して中断される事はない。人物たちは車に乗り込み道路を走りだした。カメラは後方からそれをとらえ、追いかける移動撮影が続く。登場人物は、私の頭の中では義父の小津監督家族と混濁がはじまっており、若き原節子さんなどの影も感じている。

演技を続ける俳優を乗せた車は走り続け、長回し撮影は決して途切れる事なくそれを追い続ける。道路に積もった雪が現れ、画面にテロップが次々にスーパーインポーズされる。「東京 ○○○ ***」「…etc.」

撮影はワンカットのままだが、車で走りゆく人物たちを捉えたまま、時間経過や場所の経過がテロップの挿入で表現されてゆく。私は小津監督の全く新しい演出、撮影が生まれる瞬間に立ち会い、それを記録できた事で興奮している。

そして大団円。登場人物を乗せた車は、大きく旋回すると、最初の場所、みんなが最初に集まった宴会場のセットに再び戻って来て、そのままそこに入り停まった。という事は、次々に移動を続けた道路も、急に雪景色になった時間経過描写も、ドキュメンタリー的要素を取り入れた演出ではなく、すべては小津監督の演出コントロール化にあり、セットと現実のロケーションを利用しての美術や照明を含む、壮大な映画内世界の創出であったのだと、ここで初めて知り、驚愕する。広大な距離、膨大な時間をそこに費やしたので、そのラストシーンのスケールの大きさに、新たな映画芸術の創出に挑んだ小津監督の隠された遺作の貴重さ偉大さに、その現場に立ち会えた事に、改めて深く感動するのであった。

 

2011/11/28
■生きてるものは、あゝ、荒野

全身は休むことなく皮膚呼吸している。体はザルのように穴だらけで外界の空気は出入りして生命活動は続いている。空気はすべての生命の間を行き来する。自分の皮膚の表面が自分と周囲との境界と決めていいのかな?

アッシは身の回りの空気がないと生きていけない。取り囲んでいる環境の影響も強く受ける。そばに居る人間の影響も受けている。アッシも環境や周囲の人間に必ず影響を与える。嫌がっても否定しても生きている限り変わらない相互関係の事実を思う。

大樹を見上げると太い幹のかなりの高所に鈴虫がじっと留まっていた。その虫がそこにいる意味がまるでわからなかった。

かなりの高層階の住居、殺風景なベランダの手すりのある場所に、凶暴なスズメバチが何度もやって来て、何かをしようとしている。強風の中、奴がわざわざそこに飛んで来る要素はまるで何もない。意味がまったくわからない。

険しい原生林の山道を登りきると、突然視界が開け、目の前に巨大な光の帯が現れた。峡谷にかかる巨大な虹だ! 高揚した気分は、さらに高天原のような山頂でピークに達する。何の前触れもなくいきなり初雪が降って来て、あっという間に辺りを純白で覆い尽くしていく。なんという偶然、素晴らしい祝福!しかし…

あまりの美への陶酔から、ふと我に返ると、方角や道が完全に消えてしまった事、装備の貧弱さに気づき今度は死の恐怖に襲われた。しんしんと降り積もる雪がすべての音も完全に消す。この汚れない世界に独りで呆然と立ち尽くすしかない。

不思議な事に頭は冴え渡る…絶望的な恐怖感はかってない多幸感と恍惚感に変わる。誰かに感謝せずにはおれないちっぽけな命がそこに居た。

 

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