2011/12/23
■石井岳龍はどこにいる?

年の瀬ながら、関係者の皆様お疲れ様です。

何を話してるのか自分でもよくわからないアッシですが、
このイベントではなんとか理解してもらえるようにトークできるように努めます。

どうぞ宜しくお願いします。

 

2011/12/01
■小津安二郎監督の夢

小津安二郎監督の夢をみた。それだけでもありがたいのに、なんと小津安二郎監督の娘さんの嫁婿になっているという夢だ。

ありがたすぎるが、不埒すぎる。

でも、夢は全くの無罪だから、忘れないうちにこうして書き綴るのをどうかお許しあれ。

季節は盛夏。何故か私の義父である小津安二郎監督は、自室であおむけに寝そべってくつろいで居る。私はお土産に今風の半袖シャツを2枚持参したが、小津義父は気に入らないのか、ランニングシャツのままで黙って微笑み、それを着ようとはしない。気がつくと、おそらく義母が買ったものだろうが、似たような今風の白い半袖シャツが2枚、ハンガーに掛かって鴨居からぶらさがっている。私のお土産より少し柄もセンスよく落ち着いていて小津義父に似合いそうだ。
『…そうか、こちらを着たいのだな…』と私は納得する。

撮影現場。
小津監督が私の知らない映画を撮っている。最後の作品だという事がわかる。遺作は実は「秋刀魚の味」ではなかったのだ。
これは誰もが知らなかった大変な知られざる事実、その現場に、今、立ち会っているのだという緊張した意識に包まれる。

ここで少し客観的になる。(夢と現実の中間地帯、或いは夢の別次元に入ったのか?)。
私は実際は2011年の現実に生きている。小津監督は50年くらい前に亡くなったはずだ。これはタイムマシーンのようなもので私がその時代に来ているという事ではないか。とんでもなく映画史的にも貴重な体験を今しているのだ。歴史に残されていない小津監督の幻の最後の映画現場に居るのだ。この現場や、それに関わる小津監督の、目の前のこのリアルな生の姿を記録に残さなければ誰にもこの事が伝わらないではないか。私は何をぼやっと過ごしているのだ。写真の一枚も撮ったのか?記録ムービーは回していないのか。
私は焦る。『…確か、はっきりとした姿はまだ撮っていないが、シルエットとか、采配する手とか、断片的にならプライベートで撮ったはずだ…でもそれではいけない。しっかりと記録して、これを現代に持ち帰って、関係者に生々しいこの隠された真実の記録を見せなければならない…』

小津監督の隠された本当の遺作のラストシーンの撮影が始まる。
その撮影は、今までに私が知っている小津監督の演出、小津スタイルを逸脱した、とんでもなく画期的、斬新なものだった。ラストシーンで、その小じゃれた宴会場(もちろんセット)に全員集合した登場人物たちは、演技を続けたまま、ゆっくりとセットから出て行き始めた。それを写していたカメラは、長回し撮影のまま、その人物たちの演技を追ってゆく。長回しは続いていて決して中断される事はない。人物たちは車に乗り込み道路を走りだした。カメラは後方からそれをとらえ、追いかける移動撮影が続く。登場人物は、私の頭の中では義父の小津監督家族と混濁がはじまっており、若き原節子さんなどの影も感じている。

演技を続ける俳優を乗せた車は走り続け、長回し撮影は決して途切れる事なくそれを追い続ける。道路に積もった雪が現れ、画面にテロップが次々にスーパーインポーズされる。「東京 ○○○ ***」「…etc.」

撮影はワンカットのままだが、車で走りゆく人物たちを捉えたまま、時間経過や場所の経過がテロップの挿入で表現されてゆく。私は小津監督の全く新しい演出、撮影が生まれる瞬間に立ち会い、それを記録できた事で興奮している。

そして大団円。登場人物を乗せた車は、大きく旋回すると、最初の場所、みんなが最初に集まった宴会場のセットに再び戻って来て、そのままそこに入り停まった。という事は、次々に移動を続けた道路も、急に雪景色になった時間経過描写も、ドキュメンタリー的要素を取り入れた演出ではなく、すべては小津監督の演出コントロール化にあり、セットと現実のロケーションを利用しての美術や照明を含む、壮大な映画内世界の創出であったのだと、ここで初めて知り、驚愕する。広大な距離、膨大な時間をそこに費やしたので、そのラストシーンのスケールの大きさに、新たな映画芸術の創出に挑んだ小津監督の隠された遺作の貴重さ偉大さに、その現場に立ち会えた事に、改めて深く感動するのであった。

 

2011/11/28
■生きてるものは、あゝ、荒野

全身は休むことなく皮膚呼吸している。体はザルのように穴だらけで外界の空気は出入りして生命活動は続いている。空気はすべての生命の間を行き来する。自分の皮膚の表面が自分と周囲との境界と決めていいのかな?

アッシは身の回りの空気がないと生きていけない。取り囲んでいる環境の影響も強く受ける。そばに居る人間の影響も受けている。アッシも環境や周囲の人間に必ず影響を与える。嫌がっても否定しても生きている限り変わらない相互関係の事実を思う。

大樹を見上げると太い幹のかなりの高所に鈴虫がじっと留まっていた。その虫がそこにいる意味がまるでわからなかった。

かなりの高層階の住居、殺風景なベランダの手すりのある場所に、凶暴なスズメバチが何度もやって来て、何かをしようとしている。強風の中、奴がわざわざそこに飛んで来る要素はまるで何もない。意味がまったくわからない。

険しい原生林の山道を登りきると、突然視界が開け、目の前に巨大な光の帯が現れた。峡谷にかかる巨大な虹だ! 高揚した気分は、さらに高天原のような山頂でピークに達する。何の前触れもなくいきなり初雪が降って来て、あっという間に辺りを純白で覆い尽くしていく。なんという偶然、素晴らしい祝福!しかし…

あまりの美への陶酔から、ふと我に返ると、方角や道が完全に消えてしまった事、装備の貧弱さに気づき今度は死の恐怖に襲われた。しんしんと降り積もる雪がすべての音も完全に消す。この汚れない世界に独りで呆然と立ち尽くすしかない。

不思議な事に頭は冴え渡る…絶望的な恐怖感はかってない多幸感と恍惚感に変わる。誰かに感謝せずにはおれないちっぽけな命がそこに居た。

 

2011/10/21
■元気です。

twitterとfacebookを始めたら、なかなかブログにこれなくなりました。
若衆への映画創作参考用の映画紹介は、とりあえず100本までは続けようと思います。ほぼ毎日更新しています。よかったら覗いてみて下さい。

まもなく、新作劇映画「生きてるものはいないのか」の情報が解禁され、試写も始まり、予告編やホームページもUPされます。

どうぞ宜しくお願いします。

 

2011/09/22
■『Recreation』

神戸芸術工科大学映画専行2期卒業生、
永野義弘君の卒業制作『Recreation』がPFFに入選し、
東京フィルムセンターで行われているフェスティバル内で上映されます。

9月25日(日)14:30〜

9月27日(火)11:00〜

http://pff.jp/33rd/

少年犯罪日本一を誇る福岡県のある中心都市。退屈を持てあました高校生たちの行き過ぎたレクレーションを、リアルドキュメント的に映像化した力作です。

今年のバァンクーヴァー映画祭にも招待が決まった超問題作をお見逃しなく!

応援してね!

 

2011/08/01
■ロバート・アルトマン賛 総集編

「ある種の芸術的環境の中で真に伝わる言葉は俳優から発せられるんだ。彼らこそが何かを言い得るし彼らなりの歩き方を示し得る存在なんだ。観客がその表現に何かを感じ反応したら、『なんだかわからないが、これだ』と感じたら、それこそが作り手が提供しようとしている感情だ。その為に私は俳優を勇気づけ信頼してもらう」

by ロバート・アルトマン


アルトマン監督作品には「ナッシュビル」でKOされていたが、その後なんだか合わない作品も続き、「ザ・プレイヤー」「ショート・カッツ」から再び共振し始め、「ゴスフォード・パーク」「クッキー・フォーチューン」で心底作品が好きになり、「コンバット」を追い直して職人芸に感心し、DVDやプロジェクターの進化もあって「ロング・グットバイ」や過去映画作品を再見して味わい、愛着と興味を深めるようになった。

「ロバート・アルトマンわが映画、わか人生」は、オンリーワンの超個性派監督アルトマンの癖のある人柄や世界観、人生と映画表現に対する本音や姿勢が生き生きと伝わって来る名著(川口敦子訳GOOD!)。最も驚いたのは「カンザス・シティ」を完成させた後に、彼が心臓移植手術!を受けていたこと。その後の大活躍と監督本数の多さを顧みれば、その生命力の強靱さにただただ驚嘆。映画監督志望者は、映画を勉強しながら体力と生命力を鍛えるべし。しかしどうやって?

映画のカラー劣化退色問題と保存問題にUSAで最も熱心に取り組んだのはマーティン・スコセッシ監督だが、最も感心が薄かったのが「サンドキャッスル=砂の城」という製作会社名で創作を続けたロバート・アルトマン監督だったのは有名な話。映画は海辺に作る「砂の城」だとのたまい、毎回毎回消えて無くなる命や形だからこそ入魂する、はかない幻に全霊をかけた大人の真剣な遊びがイカす。

アッシにとってのアルトマン監督作品の最大の魅力は、それまで観てきて信じてきた、整った(映画)世界のルック(見え方)やテーマ(真実のありか)を大胆に挑発し、組み替え、彼が信じる見え方の具体を、俳優たちのリアルな表情や身振りの迫真性として提示し、その魅力を最大に生かす撮影法の発明で、(しかもそれは作品毎に違う魅惑のアレンジが施され)、それまでの(映画)世界の整いの偽りや表面的偽善を露わにし、今起こりつつある世界の多様さや、隠れていた真実を映画によって掘り起こし直し、多様性の可能性に向けて(映画)世界を解放していこうとする試みに見える。

複数カメラの使用は伝統的なハリウッドスタイルと大きく異なり、俳優が「役に生きる」為に移動とズームレンズが多用され、影から彼らの生きた瞬間を狙い撃つ。それはドキュメンタリー的迫真性に加え、映画に官能のリズムをもたらそうとする試みでもある。ほぼ俳優毎に配置されたワイヤレスマイク中心によるマルチトラックによるセリフ録音も、現在のデジタルマルチ同録を遙かに先取りする野心的な技術だし、この複雑な撮影方法を深める為に、アルトマン監督が人間の聴覚が聞き分けられる会話の断片の重なり具合を街中でリサーチしていたというのは有名な話。

アルトマンと言えば撮影ヴィルモス・ジグモンドという印象が強いが、実際は「ギャンブラー」「ロング・グットバイ」(驚異のフラッシング!2作)と「イメージズ」の3作のみ。作品毎にそれに沿ったルックを徹底追究する監督だったから、同じカメラマンとはなるべく組まないという意図。そういえば相米信二監督も作品ごとにカメラマンを変えたい意向だった。それなのにワンシーン観ただけで監督がわかる作品群なのだからその映画力の強靱さ、恐るべし。

たとえば「ボウイ&キーチ」。ボウイとキーチが初めて出会う時のシーンの目線と画面構成の見事な呼吸。2人が初めて親しく言葉を交わす時の、オフビートな会話のズレと編集技法。映画でしかないのに映画である事を忘れてしまう永遠の一瞬が見事に刻まれる。ジム・ジャームッシュ映画出現の10年以上前に既に、その衝撃は生まれていた。

ズームやマルチトラック、「ロング・グッドバイ」全画面で徹底された微妙な移動撮影、「ギャンブラー」驚異のフラッシング(ネガ現像被りによる色彩特殊処理)、「ナッシュビル」での群像劇処理、当時の映画かぶれ(映画を創りたい小僧ども)はみんなそれを真似したがっていた。意味などわからずただその新しい試みのカッコヨさに痺れた。真似すればアルトマンみたいな映画に近づくかもって。試みた小僧は知る。それぞれがいかに困難で複雑な技法かという事を。

出口は見えない。目に見えない何かに塞がれている。リアリストの作者は、安易な希望や妥協は示さない。主人公たちの視点は狭く、目の前の事で精いっぱいの現実を、彼らなりの遊びに仕立て上げ、時をしのぐ。彼らが信じる残された微かなロマンや、それしかない遊技や賭けが、またも無駄に終わろうとも、彼らはその瞬間を彼らなりに活き活きと生きる。何かいいようのない、ルーザーたちの「鈍く薄汚れた」世界のリアルな感触が、それに対する作者の確かな「慈愛」だけが、確実に、私の心には残る。

描き出すその世界の社会的な表現象と対比的に、底辺の袋小路でうろうろと出口を求めて彷徨う主人公たちを凝視するアルトマン監督の視点は、相当にシニカルにブラックで厳しい。それは彼がしっかり体験してきた隠されたリアルさの反映なのだろう。  
 その娯楽とはほど遠いはずの世界を、俳優に託されたキャラクターの魅力と映像音響の共作オペラのような、リアルでありながら静かで奥深い映画的興奮をかき立てる世界に、特徴的なパワーズームの移動撮影のリズムがもたらす催眠術にかけられたような官能と酩酊感が漂う重層的時空間に結実させる。彼の職人芸とアート冒険の混合ミキシング魔術だ。

アッシが高校生の時は、九州の盛り場周辺の普通の映画館に、ロバート・アルトマン、フランソワ・トリフォー、サム・ペキンパー、ロバート・アルドリッチ、ドン・シーゲル、パゾリーニにベルトリッチ監督らの新作が、毎年、次々に娯楽としてやって来て、背伸びしながらも日常的にその世界に浸っていたのだ。それは映画の勉強ではなく、娯楽+αだった。客席ガラガラは当たり前だったが、改めて思い起こせばなんと至福の体験だったことか。

『映画作りは海岸で砂の城を作るようなもの。友達と皆で素晴らしい城をつくる。完成したら酒でも飲みながらそれを眺める。やがて波が城をさらい、そこはただの砂浜になる。でも砂の城はみんなの記憶に残る。それだけのことだ。そして誰かがまた来週、砂の城を作ろうよと提案する。私にとってはまさにこれこそが映画作り、その真の醍醐味だ。つまり純粋なお楽しみ、それ以外のなにものでもない』

by ロバート・アルトマン

(*以上、twitterへのアルトマンがらみのつぶやきをまとめて、さらに自論を加筆したものです)

 

2011/07/23
■杉浦日向子 賛

昨日は、漫画家であり江戸研究家であった(「お江戸でござる」解説出演者としても著名だった)杉浦日向子さんの7回忌だった。
ワシよりひとつ下だったから46歳の夭折だった。
アッシは隠れ杉浦日向子ファン。まんが著作はほぼ全作所有してマス。
杉浦さんのホンを読んでるとそのまま江戸時代に連れて行かれる。
ページの隅々まで粋な江戸のにおいがする。夭折がほんとうに惜しまれる。

合掌

個人的には、葛飾北斎と娘お栄を中心にした下町の日常の機微と、江戸の怪異を透明で乾いた筆致で綴り、明るい泉鏡花といった風情が楽しい「百日紅(さるすべり)」シリーズとか、幕末上野戦争を描いた「合葬」、あと「東のエデン」(同名アニメとは別物)、「とんでもねえ野郎」とかが特に好きです。

明治から始まる近代を月曜日ととらえ、近世江戸を「日曜日のにっぽん」として捉える日向子さんの視点はどこまでも澄み切っていて、透明な虚無の中の遊び心が満載。素敵です。 どこか敬愛する山中貞雄監督の世界とも通じている気がする。

*twitter facebookより転載

 

2011/07/20
■「狂い咲きサンダーロード」上映のお知らせ

「狂い咲きサンダーロード」in 京橋フィルムセンター

(内容)

「特集・逝ける映画人を偲んで2009−2010」

「狂い咲きサンダーロード」(主演:故山田辰夫)

8月9日(火) pm 7:00〜

8月27日(土)pm 4:00〜

東京国立近代美術館フィルムセンター 大ホール
銀座線 京橋駅すぐ

http://www.momat.go.jp/FC/NFC_Calendar/2011-8/kaisetsu.html

山田さんの為にもお誘いあわせの上、
賑やかしくお越し下さい。
どうぞ宜しく。

原田芳雄さんの突然の死去には本当に驚きました。
アッシらの世代はなんと言っても、
「竜馬暗殺」「祭りの準備」の2連発でKOでした。
「ツィゴイネルワイゼン」の怪演も忘れられません。

本物の役者魂がまた逝ってしまった。

ご冥福を心より祈ります。

 

2011/07/14
■「生きてるものはいないのか」完成!

黒澤明監督は新作映画を完成させたら即入院で点滴打つのが常だったらしが、アッシもかっては新作完成させた日から病院通いが恒例だった。今回も虚脱感は凄いが体は元気。神戸高原のおかげか?年取ったせいか?関わった全員の力が作品に顕著に焼き付いているという充実感のせいか?GREAT!!!

 

2011/06/29
■ううむ

面白いことに、
blog、mixie、twitter、facebookとかって、
結構使っている人が分かれてるんですね。

って当たり前か。

どうにか統一できないのかな?

アッシの仕事と創作体制ペースだと、全部を均等にフォローするのは不可能なんだな。

それぞれに特徴があってどれかひとつって決められない。複雑な時代だね。

劇映画創作・企画・製作準備、映画教育、大学運営、webmovie、3Dmovie開発、アート活動、人材育成、会社経営、ボランティア活動…

そういうことか。

明日も、ただささやかな一歩前進を、願う

 

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